国士舘で前チームから四番を務めていた黒澤孟朗(読み方は「くろさわ たろう」)選手。
金沢ヤングブルーウェーブ出身の左打者で、左打席では膝が地面につきそうなほど低く構える独特のフォームでも注目を浴びています。
その独特のバッティングフォームを取り入れた理由や、その先に見据えている未来も踏まえて、国士舘の強打者・黒澤孟朗選手を特集していきましょう。
目次
黒澤孟朗の打撃フォーム改造は中学時代
国士舘で前チームから四番を務めていた強打者・黒澤孟朗選手。
2019春のセンバツ甲子園でも独特の打撃フォームに球場が沸きましたが、バッティングを改造したのは中学2年の秋だったといいます。
出身は石川県で「金沢ヤングブルーウェーブ」に所属していたため、このチームでプレーしている頃に現在のフォームが確立されたということですね。
実際のところ指導者としては矯正したくなる気がするのですが、案の定、国士舘の永田昌弘監督は「修正のアドバイスをしたいときもある」と話していました。
ただ現時点で強いスイングができているため見守っているとのことで、指揮官の器も大きく影響していますよね…!
黒澤孟朗選手自身も「結果を出せば認めてもらえる」と語っていますし、現在のフォームを変更することは今のところ考えていないように見受けられます。
国士舘・黒澤孟朗がバッティングを変えた理由
現在の打撃フォームに行き着くまでにはどんな道のりだったのか。
調べてみたところ、自身のウイークポイントを補うための工夫の末に行き着いたのが現在の形だそうです。
黒澤孟朗は身長167cm・体重70kgと、がっしりした体格ではあるものの上背はさほどありません。
参考までに、同世代で大阪桐蔭のドラフト候補・西野力矢選手は身長180cm・体重86kgと体格はまったく違うんですよね。
黒澤孟朗選手の打撃フォーム.初めて見た時の映像.甲子園で見たい.#国士舘 #高校野球 #センバツ pic.twitter.com/UlSBXyxfY9
— tk89navi (@tk89navi) 2019年3月15日
黒澤孟朗選手は身体が小さくても鋭い打球を飛ばせるように研究を重ねたそうで、同じく小柄ながら大阪桐蔭時代に甲子園を沸かせた天才打者・森友哉選手に憧れを抱いたのも自然な流れだったように感じます。
当然ながら相手投手はストライクゾーンが狭く感じて投げにくくなるでしょうし、甘く入ったボールを強くとらえることが出来る黒澤孟朗選手は、僕ら観客が見ている以上に投手にプレッシャーを与えているでしょう。
参考:西野力矢(大阪桐蔭)はドラフト何位か?技術で運ぶ長距離砲に注目
黒澤孟朗の打撃は国士舘の大きな武器
黒澤孟朗選手は2018秋の東京大会で3割2分3厘と上々の打率を残した上に、得点圏にランナーを置いての勝負強さも光り、7打点を叩き出しました。
強打者として相手の脅威となっている黒澤孟朗選手は、常に「身体が大きな選手に負けない」ことを念頭に置いているんですよね。
自分が結果を残すことで小柄な選手たちの希望になろうとの意気込みも感じますし、独特の打撃フォームは決して単なる見せかけではありません。
国士舘 4番 黒澤選手
西武森友哉選手を彷彿させるような構えからの鋭い当たり‼️ pic.twitter.com/tNae3hJBuY— A.S.U (@kohei51681800) 2019年3月27日
前チームからレギュラーだった鎌田州真選手と共に、これからの国士舘を引っ張るバッターであることは間違いないですからね!
激戦区の東京を勝ち上がり、甲子園の舞台で活躍が観られるのが楽しみです。
参考:鎌田州真(国士舘)は打撃センス抜群|中学日本代表の大型野手に注目
国士舘・黒澤孟朗は大怪我からの驚異的な復帰
最後に、2019年1月に授業の柔道で負った怪我を克服したエピソードからも黒澤孟朗選手の意志の強さを感じました。
左足首脱臼骨折と靱帯損傷の大けがで全治3ヶ月と診断され、センバツ甲子園出場が危機的な状況だった黒澤孟朗選手。
結果的には明石商業戦で四番・ファーストとして出場したわけですが、驚異的な回復でこの日を迎えるまでには涙ぐましい努力を重ねています。
車いすでバッドを振ったり、野球関連の書籍を読み続けたり。さらには病院での食事に加えて2合分のお米を食べて体重が減らないようにしたそうです。
おにぎりを毎日病院へ届けた父親の愛情なんかも素敵すぎてたまりませんね…!
国士舘4番黒澤くん
構えが超絶かっこよい(=`ェ´=)✨ pic.twitter.com/8I4t4w7L6I— ゆうくん@県営の妖精 (@fukada_yu2) 2018年11月4日
実際に怪我を負ったことがある方はわかるかと思いますが、骨折などギプスで固めるような怪我をしてしまうと尋常じゃないほどのスピードで筋肉が落ちるんですよね。
加えて、自分だけ練習を休んでいる焦燥感も容赦なく自分を追い込んできます。
黒澤孟朗選手のリハビリ中にも絶望に似た感情に見舞われた日があろうことは想像に難くないですし、まだ2年生であることを考慮すると、言ってしまえば甲子園のチャンスはこの後も何度もあるわけです。
そんな状況にも関わらず「せっかくのチャンスを逃したくない」と強い想いで復帰を果たした姿は、見事としか言いようがないなと。
東京大会や甲子園で勝ち進むことが茨の道であることは言うまでもなく、技術はもちろんのこと、高校野球においてはこういった強靭な精神力が勝敗を分ける場面も少なくありません。
これから大きく成長を遂げて、野球少年が黒澤孟朗選手のバッティングフォームを真似るような日が来ることを願います。
ぜひ甲子園で爆発して、全国に名前を知らしめてほしいですね!