2020選抜高校野球は開催中止が決まった。
この件に関してネット上でも意見が飛び交っているが、主張は様々だ。
高野連を糾弾する人もいれば、ただただ悲しむ人もいる。「涙が出てきた」という声も散見された。
感情の表現は違えど、高校野球ファンの想いは1つ。
みんな観たかったんだ。
ひと冬越えて逞しさを増した高校球児たちを応援したかった。
それ以上も以下でもないのだと思う。
やっぱり観たかった。春の選抜高校野球。
実際のところ今回の決断はすごく難しくて、苦渋の決断だったことは想像に難くない。
甲子園を目指してきた球児たちをグラウンドに立たせてあげたい。でも、万が一のことがあったら…?
この葛藤のなか、責任を持った対応を問われる。
別に高野連に特別な感情はなにもないが、何でも好き勝手に言える僕らイチ個人とは、ちょっとばかり立場が異なるのは明白だろう。
だから最終的には、他の競技が中止になっているとか、そんなことはあまり関係なかったように思う。というかまあ、仮に関係していたとしてもそれはいいや。
この事実を受け、やり場のない怒りや悲しみをみんなどうにかしたくて、必死でもがいているわけで。
「一番大切なのは高校球児だ」なんてド正論が受け入れ難いほどに、感情が揺れても今は仕方ないのではないだろうか。
それほどのインパクトは確かにあった。少なくとも僕や、僕の周りの方々を見る限りは。
仕方ないのは百も承知だ。だけど。本当に観たかった。
選抜高校野球がなくなったら、何を楽しみにすればいいんだよ。
このときのために一冬越えてきたのは、少なからず我々も球児と一緒なんだよ――
本当に大事な決断は「中止」ではない
ここまでは、イチ高校野球ファンとしての心情を書いた。
無観客試合なら出来ただろう?みたいな意見も実際にたくさん目にしたし、個人的にそんな気持ちもないわけではない。
ただ、今回ばかりは「仕方ない」以外に言葉がない。
万が一、球児に何かあってからでは遅いことだから。
仮に自分が球児だったらそれでも甲子園に立ちたいと思ったかもしれないが、「球児を守った」という点ではきっと英断だったのだろう。この決断の是非はいま判断できることでもないように思う。
そんな状況だからこそ。
考えてほしいのは1つだけで、もちろんそれは「出場が決まっていたチームへの対応」だ。
それ次第で今回の「中止」という決断の色が変わるから。
本当に大事なのは、むしろそっちの方なんじゃないだろうか。
出場校、そして選手たちに最大限の配慮を
おそらく今、出場校32校では球児たちもその事実を知って愕然としているだろう。
監督が何をどのように伝えるかはわからない。
「こんな体験が出来るのは長い歴史の中で自分たちだけだ」
「残念だが、前を向いてまた今日から頑張っていこう」
「この経験を強さに変えてこそ王者だ」
様々な表現はあれども、きっと「もう一度頑張ろう」と伝えているだろう。というか、それ以外にないとすら感じる。
もし皆さんが監督だとしたら、必死で一冬越えてきた選手たちに対して、もうそれしか言えないんじゃないだろうか。
そして選手たちはきっと「頑張ろう」と前を向こうとするはず。不祥事などとは異なり、全チームが横一線だから少しは切り替えが上手にしやすいかもしれない。
ただ、ぶっちゃけそんな簡単に割り切れるものでもない、とも思う。
もちろん「越えるべき壁」と言えばそうなのだろうけど、頭では理解しても心と身体が付いてこない可能性だってある。
プロのスカウトや大学・社会人への推薦だけでなく、自信や誇りも。
選手たちの将来を変える力が、甲子園にはある。
だからこそ、どうか出場できるはずだった選手たちに最大限の配慮があってほしい。
たとえば、32校は夏も出場できるような体制をとる。連戦になる疲労が問題になったり、甲子園球場を長期間使用できるかも議論が必要だろう。
たとえば、開会式にはすべての高校を参加させる。試合ができるはずだったのに、それで良いのか?という話になるかもしれない。
そもそもウイルスがいつ終息するかもわからない現時点では、建設的な議論ができないのも確かだ。時期だって決められない。
簡単な話ではないことは百も承知だが、それでもやっぱり。出場が決まっていたチームには最大限の配慮をお願いしたい。
余談だが、高野連を叩くのはちょっと違う気がする。もし僕らが同じ立場だったとしたら、本当に難しい決断だったと思うから。
コロナ、馬鹿野郎!!と矛先は奴に向けて、高校球児のこれからを応援していきたいと思います。